『恋しさと せつなさと 心強さと』

(10 Years Episode 3)

B-PART


構想・打鍵:Zeke

 この作品はフィクションです。登場する人物、名称、土地、出来事等は実在するものではありません。
 また本作は(株)ELFの作品「同級生2」の作品世界を設定として使用しております。




「唯!」
 飛び出して行く唯を、龍之介は呆然と見送るしか出来なかった。
(泣く事は無いじゃないか。)
 テーブルに視線を落とすと、唯の残した涙の痕が光っている。
(ばかやろ、俺だってファーストキスだったんだぞ‥‥唯が相手じゃシャレにならな
 いじゃないか。)
 コーヒーカップに手を延ばし、中味を一気に飲み干そうとしたのだが、
 くわーん!
 後頭部に衝撃が走り、龍之介は危うく口に含んだコーヒーを、吹き出すところだっ
た。
 頭を押さえて振り返る、トレイを持ったバイト娘が睨み付けていた。
「ぃてーなっ!」
 龍之介の訴えにバイト娘は平然と
「当たり前でしょ。痛くないようには叩いてないもの。‥‥泣いていたじゃない。何
 をしたの?」
「関係ないだろ。」
 くわーん!
「痛ーな。」
「女の子を泣かす様な男には、当然の報いよ。」
「叶(かのう)くん‥‥そのトレーの代金、バイト代から引いていい?」
 カウンターの中からマスターがトレーを指差す。確かに二度の衝撃によって、トレー
の面は波打っており、その役割が果たせるようには見えない。
 が、彼女はそれにも平然と
「トレーの一枚や二枚でガタガタ言わないで下さい!‥‥それよりあんた、ちょっと
 そこに座りなさい。」
「もう座ってるよ。それに俺はあんたじゃない。龍之介だ。」
「へー、いい名前じゃない。やってる事は情けないけど‥‥。」
「何も知らないくせに、偉そうな事を言うなよ。」
「男の子が女の子を泣かせれば、どんな理由があろうと悪いのは男の子の方なの。」
「あんたの場合は逆になりそうだな。男を陥れるために、涙を流しそうだ。」
「も一回叩かれたい?」
「遠慮しとく。じゃ、俺帰るわ。ごちそーさん。」
 立ち上がった龍之介は、彼女の横をすり抜け、レジへと向かう。
「待ちなさい‥‥。」
 その制服の後襟に手を掛け、彼女が引き戻す。
「まだ何があったか聞いてないわ。」
「なんであんたにそんな事言わなくちゃいけないんだ? 興味本位で他人の事に首を
 突っ込むなよ!」
”わーん”と店内に反響するほどの声、
「他人のことだから首を突っ込めるの。誰だって自分には甘いんだから。」
 全く動じた風もなく、彼女は平然と言ってのけた。
「それに、精神衛生上良くないよ。人に聞いて貰った方がすっきりする事だってある
 んだから。」
 だからといって、目の前にいる大して親しくもない人間にあれこれ話せるほど、素
直な龍之介ではない。
「あんたにぴったりの単語を知ってるぞ。お節介というんだ。」
 ポケットから千円札二枚を取り出すと、彼女にに押しつけ、店の外へ出ていく。
 さすがに今度は止めることが出来ず、彼女は、渡された紙幣を握りしめ、暫く揺れ
るカウベルを見つめていたが、カウンターの中の視線に気付くと、仕事に戻った。

                  ☆

 ピザハウスを後にした龍之介だが、さすがに真っ直ぐ家に帰るのは気が引けた。
 どんな顔をして、唯や美佐子に会えばいいのかわからないし、何を話せばいいのか
もわからない。
「‥‥相手が唯じゃなかったら‥‥。」
(相手が唯じゃなかったら‥‥他の女の子だったら、同じようにこんな罪悪感を持っ
 ただろうか? いや、それ以前に、「忘れろ」などと言わないんじゃないか?)
 自問自答してみるが、答えは出そうに無かった。
「くそっ!」
 吐き捨てるように呟くと、回れ右をして元来た道を歩きだす。忌々しいと思ったが、
あのバイト娘が言った通りだった。  

「言って置くけど、せっかくの土曜の午後に、このまま家に帰るのがもったいないか
 らだぞ。」
  ピザハウスの扉に手を掛け、自分自身に言い訳をする。

 カララン!
「いらっしゃい。」
 別に驚いた風もなく、先程のウェイトレスが龍之介を迎える。
「バイト‥‥何時までだよ。」
 彼女は嫌みのない微笑を浮かべ、
「マスター。」
 カウンター内の男性に声を掛けた。
「はいよ。後は一人で何とかするよ。」
「別に仕事が終わってからでいいよ。」
「いーのいーの。着替えてくるから待ってなさい。」
 そう言って、奥の部屋に消えて行く。‥‥と五分もしないうちに、ジーンズにジャ
ケットという、ラフな格好に着替えたバイト娘が出て来た。
「さっ、行こ。」
「行くって、どこへ?」
 訝しがる龍之介。
「着いてくればわかるよ。早く来なさい。」
 右手を引かれ、外へ連れ出される。 
「いいのかよ、バイト。」
「いいのよ、賭に勝ったんだから。」
「賭け?」
「そう、君が戻ってきたら私の勝ち、戻らなかったらマスターの勝ち。で、私が
 勝ったら、今日はマスターが一人で頑張るっていう賭け。」
「俺が戻ってこなかったら?」
「私は今日一日タダ働き。」
「あんまりいい気分じゃないな、賭の対象にされるって言うのは‥‥。」
「まあ、そう言わないで。驕ったげるからさ。」
”にっこり”と微笑み掛けられ、それ以上何も言えなくなってしまう。
 目のやり場に困り、視線を落とす。
「おい!」
「ん?」
「離せよ。」
「何を?」
「手を離せと言ってるんだ。」
 店を出てから、彼女はずっと龍之介の手を握ったままだった。
「なんで?」
「恥ずかしいだろ!」
  龍之介の顔が、若干赤くなっている。
「ははーん、龍之介ってば照れてるんだ。」
  益々赤くなる龍之介。
「だっ誰が!」
 乱暴に手を振りほどく龍之介。
「それに名前を呼び捨てにするな。」
 照れ隠しに威張って言ってみる。
「いいじゃない。私の方が年上なんだし‥‥。大体なんて呼べばいいのよ?」
「龍之介様、若しくはご主人様と呼ぶことを許してやってもいいぞ。」
「絶対呼んでやんない。君のことは龍之介。はい、決定!」
 ビッ! と龍之介の鼻のあたりを指差し、宣言する。
「ちぇ、そう言えば名前、聞いてなかったな。」
「私? メイよ。叶 愛衣(かのう めい)」
「めぇー? 山羊か?」
「メ・イよ。どういう耳してるの?」
「メイね、迷路の迷‥‥と」
「どこの親がどんな願いを込めてそんな字の名前を付けるのよ。愛しい衣(ころも)
 よ。」
 呆れたように訂正する迷‥‥もとい愛衣。
「その字じゃ、ア・イじゃないのか? もしかして五月(May)生まれ?」
「‥‥あ、電車が来ちゃう。走らなきゃ。」
 駆け出す愛衣、”にやり”と笑い、それを追う龍之介。
「図星だな。」
「うるさい。」
 大体電車は五分置きに来ているのだ、走る必要はどこにもなかった。

                  ☆

 はーはー、ぜいぜい
「み、みなさい、龍之介がつまらない事言うからギリギリじゃない。」
 ちょうどホームに入ってきた急行に何とか飛び乗ることが出来たのだが、
「はーはーはー、ぜいぜいぜい」
 走り続けた龍之介は声も出ない。
「ちょっと、大丈夫?」
「はーはー、あ、あんた、女のくせに、ぜいぜい‥‥足、速いな。」
「龍之介の足が遅いんじゃない?」
 普段の龍之介なら、思いっきり何か言い返いかえすところだが、今は息が切れて
それどころではない。
「それから私のことは”あんた”じゃなくて、愛衣さんか、愛衣先輩と呼びなさい。」
「はーはーぜいぜい」
 相変わらず、呼吸を整えている龍之介。
「‥‥。」
 そんな龍之介の肩に愛衣は左手を回し、そのままその手で口を塞ぎ、右手で龍之介
の鼻を摘む。
 当然、呼吸の出来なくなった龍之介は、それを外そうともがくが、その力は思いの
ほか強く、外れない。
「わかった?」
 答えを促す愛衣に対し、龍之介は首を縦に振るしかなかった。
 満足そうに戒めを解く愛衣。
「こ‥‥殺す気か!」
「なんだ、しゃべれるじゃない。」
 龍之介の訴えを愛衣は平然と受け流す。 
「☆△! ★○! ◆×□◎っ!!!」(←お好きな悪口雑言を入れて下さい。)
 しかし、それすらも聞こえないフリをする愛衣。
「すっかり秋ねぇ。」
 龍之介の雑言は、電車が如月駅のホームに滑り込むまで尽きることはなかった。

            ☆            ☆            

 家に帰り着いた唯は、真っ先に洗面所に駆け込んだ。蛇口を全開にして水を流し、
それを手で掬(すく)うと思い切り顔に当てた。水が掛かる度に、瞼が冷やされ、涙
が引いていくような気がした。
 十数回それを繰り返しただろうか、ゆっくりと備え付けの鏡を覗いてみる。まだ目
が赤いように見える。
「こんなんじゃ、泣いていたことがお母さんにわかっちゃうな。」
 笑顔を作ってみるが、どこかぎこちない。
「笑うって、こんなに難しかったんだ。」
 そんな自分の言葉で、また涙腺がゆるみ、涙が溢れてきてしまう。
「いけない。」
 先ほどまでの行為が無駄になってしまい、唯は再び水を掬(すく)い、顔に当てる
作業を繰り返すハメになってしまった。

「お母さん、ただいま。」
 勝手口から喫茶店にいる母に声を掛ける。
 土曜日の午後ではあるが、今の時間は暇なようで、店内には二組の客がいるだけだっ
た。
「あら、お帰り。今日は随分遅かったわね。お昼は食べた?」
「う、うん。‥‥お兄‥‥友達のお弁当が美味しそうだったから、分けて貰っちゃっ
 た。」
「もう。帰ってくれば色々あったのに‥‥龍之介君は?」
 一瞬、唯は昨日からの事を全部ぶちまけてしまいたい衝動に駆られた。
 龍之介にキスされた事、それにより自覚した自分の気持ち。そして先程、「忘れろ」
と言われた事を‥‥。
 母である美佐子に話せば、楽になれるのではないか? そう思った。
 だが、それはほんの一瞬だった。唯は、そうすることが出来ない環境に自分がいる
ことが、良くわかっていた。
「‥‥知らない。」
 これだけ言うのが精一杯だった。
「どうしたの?」
「え?」
「目が少し赤いみたいだから‥‥」
 恐らく気が付いたのは目が赤いことだけではないだろう。
「さっき目にゴミが入ったからかな? ‥‥あ、手伝う?」
 嘘だと思ったが、美佐子も思春期の娘を持つ母親だ。深く追求するようなことはしない。
「そう。‥‥今日はいいわ。一人でなんとかなりそうだから。」
「そうなんだ。じゃ、唯は部屋にいるから。」
「何かあったら、お願いね。」
「うん。」
 足早にその場を離れる唯。もう限界だった。自分の部屋に入るなり、ベッドに倒れ
込む。
 枕に顔を埋めると、じわじわと涙が出てくるのがわかった。そしてその涙は、流れ
ることなく、枕へと吸い込まれて行った。

            ☆            ☆

「龍之介、次あれに乗ろう。」
「しかし、今月一杯でここが閉鎖になるとは知らなかったなぁ。」
 愛衣と龍之介は如月遊園地でに来ていた。開園後三〇年経ち、各乗り物の老朽化が
激しく、閉鎖される事になったらしい。
 閉園記念というのだろうか、今月は入園券を買えば後は、フリーなるらしい。
 その為、普段では考えられない、混み具合だった。
「跡地には、総合アミューズメントパークが予定されてるらしいよ。」
「長ったらしい名前だな。」
「わかりやすく言うと、デパートあり、映画館あり、遊園地ありの複合施設よ。ほら、
 早く!」
「うーん、如月町も、いよいよ近代都市の仲間入りか。」
「そんなたいそうなモンじゃないでしょ。それに、開発が進めば、自然が破壊される
 しね。」
 ビーッ! 警告音が鳴る。
「コーヒーカップに乗って言うセリフかよ? ‥‥しっかり掴まってろよー。思い切
 り回すからな。」
  カップの真ん中にあるハンドルを、龍之介は満身の力を込めて回し始めた。

 ビーッ!
 ゆっくりとコーヒーカップの回転が治まって行く。
「あんたばか? 限度ってモンを知らないの?」
 コーヒーカップの回し過ぎで、フラフラになった龍之介を支えながら歩く愛衣。
「ど、どうしてあんたは‥‥おわっ!」
 支えを失った龍之介が、情けなく地面にへたり込む。
「なんだって、龍之介。」
 少し前屈みになり、龍之介の顔を覗き込む愛衣が、訂正を求める。
 バツが悪そうに愛衣から目を逸らし、右手を差し出す。本人は助け起こせという
意志表示のつもりらしいが、愛衣は取り合わない。
「私は、”あんた”じゃないよ。」
「わかったよ。愛衣! 早く起こしてくれ。」
「私は、龍之介よりも三つも年上なんだけど。」
 さすがにそこまで言われて、龍之介も意地になって立ち上がろうとする。が、やは
りフラついて、うまく立てない。
「意地張ってないで、素直に助けを求めたら?」
 2人の横を、女の子四人のグループが、クスクス笑いながら歩いていく。
「愛衣‥‥‥‥先輩」
 愛衣は”やれやれ”といった風な顔で龍之介を助け起こすと、ベンチに座らせ、自
分もその横に腰掛けた。
「本っ当に、意地っ張りね‥‥もしかしてそれが原因かな? さっきのは。」
 もちろん、昼間の唯のことを言っているのだ。
「‥‥全然違うよ‥‥あいつは俺の妹だ。」
「嘘よ!」
 間髪入れずに否定する愛衣。そして龍之介の顔、いや瞳(め)を正面から見据える。
「な、なんで? 嘘なんか‥‥」
 愛衣の吸い込まれるような瞳に、龍之介も言葉を濁した。
「(嘘なんか)ついてるでしょ。大体あの娘も中学の制服着てたじゃない。中学一年
 の龍之介に、中学生の妹がいるわけ無いでしょう?」
「双子‥‥」
「往生際が悪いわね。全然似てないわよ。わかるの、あの娘が龍之介を見るときの目
 は、妹が兄を見る目じゃ無かった。それにね‥‥」
(龍之介があの娘を見るときの目も、兄が妹を見る目じゃ無かったよ。)
 それを言えば、龍之介がムキになって否定するのが目に見えていたので、口にする
ような事はしなかった。
「それに? なんだよ。」
 とっさに愛衣は龍之介の名札を指さす。
「な・ま・え。あの娘の名札は、綾瀬じゃなかったよね。」
 龍之介が愛衣から目を逸らす。完敗だ。

「で?」
「なんだよ。」
「どーゆー関係なの? あの娘は。」
「だから妹だよ。」 
「あんたねー!」
 多少愛衣の語気が荒くなる。
「血の‥‥繋がらない‥‥な。」
「!」
 さすがの愛衣も、これには絶句するしかなかった。

            ☆            ☆

 住宅街にある喫茶店『憩』。ここは住宅街とあって、閉店もかなり早い。
「はいはい。今日はもう閉店ですよぉ。」
 最後まで残っていた客の目の前から、美佐子がコーヒーカップを下げ始める。
 もちろん普通のお客ならこんな事はしない。つまり、ここにいる三人の客は普通じゃ
なかった。
「あ、美佐子さん、ひどいなぁ。仮にも僕らは客ですよ。」
 三人の客のうち、一人が声を上げる。
「コーヒー一杯で、五時間も粘るのは客とは言いません!」
 ビシッと言い放つ美佐子だが、三人は動じた風もなく
「そりゃあ、僕らだって、頼めるモノがあれば頼みますよ。なあ!」
 同意を求めると、他の二人が”そうそう”と相槌を打つ。
 美佐子はメニューを開き、
「色々ありますわよ。今度来たときに是非お試し下さい。」
 と言ってやる。
「そうじゃなくてですねぇ、僕らが言いたいのは、なんて言うか、こうもっと男のロ
 マンに溢れた‥‥。」
 美佐子はため息を付いた。いつもこうなのだ。そして答えが分かり切った質問を三
人にぶつける。
「そのロマンがあるモノってなんです?」

「手巻き寿司」 
「親子丼」 
「うさぎさんの格好で‥‥」
 ‥‥。
「でてけーっ!」!

「美佐子さん‥‥」
 肩で息をしている美佐子の背後から、声が掛けられる。ビクッとして振り向くと、
友美が立っていた。
「あら、友美ちゃん。今帰り?」
  にっこりと、友美に微笑み掛ける美佐子。
「あの、今のは?」
「あ、あら、恥ずかしいとこ見られちゃったわね。ごめんなさい、作者がこれ以上の
 直球に耐えきれなくなっちゃって‥‥こうでもしないと、後が続かないのよ。」

                           【変化球モード 了】

「あの‥‥龍くんと唯ちゃん、帰ってます?」
「唯は帰ってるけど、龍之介君はまだみたいね。」
「そうですか。」
 やや、安心したのか、ホッと息を付く友美。
「ふふ。心配? 龍之介君が唯に取られちゃうんじゃないかって。」
「そ、そんなことありません!」
 真っ赤になって反論するあたり、肯定したも同然だ。
「大丈夫よ。龍之介君は唯のこと妹としか見ていないみたいだし、唯は花より団子だ
 し‥‥。」
「はあ。」
 美佐子の言葉に、友美は気のない返事を返し、
「それじゃあ、お休みなさい。」
 とだけ言って、美佐子に背を向け門の向こうに友美は消えていった。
「とは言うものの、ウチのお姫様も昨日から変なのよね。‥‥遅すぎた初恋かな?
 でも、やっかいよね。初恋の相手が血の繋がらない『お兄ちゃん』じゃ‥‥。」
 店内に戻り、扉を閉める。
 カラン!
 本日最後のカウベルが鳴り響き、数分後、店内の電灯の全てがおちた。

            ☆            ☆

「"事実は小説より奇なり"とは良く言ったもんね。本当にそんなことがあるんだ。」
「絶対に誰にも言うなよ。」
 龍之介も愛衣が他人に喋るとは思っていなかったが、一応念を押しておく。
「龍之介は、私を信用して話してくれたんでしょ。それを裏切るような事はしない
 よ。‥‥でも、兄妹ゲンカをしたって雰囲気じゃ無かったよね、さっきのは‥‥。」
「‥‥。」
 黙り込む龍之介。
「それで? 泣かした原因はなんなの? なにかあの娘にしたんでしょ?」
「‥‥。」
 なおも黙秘を実行する。
「お風呂を覗いたとか、着替えを覗いたとか‥‥」
 龍之介の性格を読んだ巧みな誘導尋問を、愛衣は展開した。 
「だっ、誰がそんな事するかっ! キスしただけあっ‥‥」
 慌てて自分の手で口を塞ぐが、もちろん手遅れだ。見事なまでに愛衣の策略に引っ
掛かってしまった。
「ふーん、キスしちゃったんだ。」
 どこか冷やかしたような目で龍之介を見る愛衣。その視線を受けて、龍之介が慌て
て弁明する。
「ほ、ほんのはずみだったんだぁ! ‥‥ソファの上でじゃれあってて、テレビでそ
 の‥‥キスシーンやってて。それで‥‥」
「はずみ? ‥‥龍之介! あんたまさか、それをあの娘に言ったんじゃ無いでしょ
 うね!」
 先程までの冷やかしたような口調から一転して、愛衣の声が厳しいモノに変わった。
 今にも首を締め上げかねない勢いだ。
「い、言ってないよ。」
 あまりの急変ぶりに、狼狽する龍之介。
「そう? ならいいんだけど‥‥。」
「あの‥‥、他になにか言ったら拙い事って‥‥。」
 後ろめたさも手伝って、龍之介の言葉遣いが、丁寧になる。
「そうねぇ、まず"ごめん"って謝るのは拙いと思うな。それから"忘れろ"とか‥‥」
(げっ!)
 本人は声に出したつもりはなかったのだが、どうやら顔に出てしまったらしい。
 そして、それを見逃すような愛衣では無かった。
「‥‥言ったの? "忘れろ"って‥‥?」
 沈黙の数秒‥‥やがて、諦めたようにコックリと頷く龍之介。
 更に沈黙の数秒が経過し、ようやく愛衣が口を開いた。と言うより爆発した。
「ばかーっ! それじゃ、さっきの"はずみ"よりタチが悪いじゃないっ!」
「そ、そうなの?」
「"そうなの?" じゃないの! 謝まんなさい!」
「ご、ごめん」
 あまりの迫力に、ついつい謝ってしまう龍之介。
「私に謝ってどうするのよっ! あの娘に謝るのっ!」
「さ、さっき、謝るのは拙いって‥‥。」
「それはキスしたことを謝った場合! 今言っているのは"忘れろ"って言ったこと
 に対して謝んなさいって言ってるの!」

  あまりの剣幕に、何事かと彼らの周りに人が集まり出した。
『別れ話?』
『なんでも、男の子の方が浮気した見たいですよ。』
『それで、あの娘が怒っている訳ですか?』
『でもあれじゃ無理無いかも‥‥』
『結構可愛いのに‥‥』
『でも、ウチの女房の方が、もっと怖いですよ。』

  その周りの好き勝手な会話が、逆に愛衣を冷静にさせた。
 スクッと立ち上がり、素早く龍之介の手をひっ掴むと、スタスタと足早にその場か
ら逃げ出した。

                  ☆

「あー、恥ずかしかった。」
 一番手近にあった、観覧車のゴンドラに逃げ込むと、愛衣は火照った頬を両手で押
さえる仕草をする。
「俺だって恥ずかしかったよ。あんな大声で"キスした"だの"謝れ"なんて言われた身
 になってみろよ。」
「それは自業自得でしょ。」
「俺は無実だ!」
「私に言わせれば、市中引きずり回しの上、磔(はりつけ)獄門よ。よくもまあそん
 な酷いことが言えたわね。」
「そこまで言うのかよ。」
「言うわよ。あんた自分がどのくらい酷いこと言ったかわかってる?」
 呆れたように龍之介を見つめる。
「‥‥先輩は、わかるのかよ。」
「わからない龍之介の方がおかしいよ。‥‥それともわからないフリをしてるのかな?」

「‥‥。」
 無言で龍之介は窓の外に視線を移す。
「そうなんだ。‥‥でも、いいと思うよ、今はそれで。」
(え?)というような表情で龍之介が振り返る。
「その、唯ちゃんだっけ? その娘がずっと龍之介に今と同じ想いを抱き続けるとは
 限らないし‥‥」
 ちょっと複雑な顔をする龍之介。
「龍之介にも、そのうち素敵な人が現れるかもしれないしね。」
 いきなり愛衣は立ち上がり、龍之介の正面の座席から、彼の隣に移動した。そして
龍之介に、ただならぬ視線を送る。
「例えば、私みたいな‥‥。」
「へっ?」
 いきなり変な方向へ話が飛び、龍之介は間抜けな声を上げる。
「私、龍之介が好きになっちゃったみたい。」
「な、な、なにを‥‥」
 さっき乗った、ジェットコースターより話の展開が早すぎる為、思考がついていっ
て無い様だ。
 だが、愛衣はお構い無しに自分の腕を龍之介に絡め、ぐっと顔を近づける。
「キス‥‥しよ。」
 愛衣の目が細くなり、唇が出会う。そして、そのまま龍之介の唇との距離が徐々に
縮まり‥‥瞬間、龍之介の脳裏を何かが過(よ)ぎった。
 一瞬にして我に返った龍之介は、思いっ切りその身を引く。
 ガン!
 勢い余って、頭をゴンドラの内壁にしたたか打ち付ける。
「いててて‥‥」
 頭を押さえて蹲(うずくま)る龍之介、片や愛衣は俯いて震えていた。
「くくくく‥‥。」
 いや、笑っているようだ。
「くくく、あははは‥‥。」
 ここに至って、龍之介はようやく自分が填められたことに気付いた。
「なにがおかしいんだよ。」
 自然とぶっきらぼうな言い方になる。
「だ、だってさ、思った以上の反応を示してくれるんだもん。あー、苦しい。」
「年下の男からかって面白いか?」
 龍之介にしてみたら、非常に不愉快な事だ。
 しかし、そのセリフも愛衣の範疇にあったようで、
「唯ちゃんは、もっとショックだったろうね。」
 龍之介の痛い所をしっかりと突いてくる。
「じょ、状況が全然違うだろ!」
「似た様なもんよ、唯ちゃんから見ればね。‥‥でも、悪いと思ってるんだ、唯ちゃ
 んに。」
「なんのことだよ。」
「ふふん。頭ぶつける前に、唯ちゃんの顔が浮かんだでしょ。」
「‥‥そっ、そんな事あるかっ!」
 否定はしたが、唯の泣き顔が頭を過(よ)ぎったのは事実で、反射的に身を引いた
のもそれが原因だった。
 それには何も言い返さず、ただニヤニヤと見つめる愛衣。
 龍之介もこれ以上ボロが出るのは拙いと思ったのか、再び窓の外に目を向ける。
 やがてゴンドラはその中心からの倍の長さに、未だ人類が解析し得ない数値を乗
じた距離のぶん円運動を行い、二人を地上に送り届けた。

                  ☆

「もう六時か、そろそろ閉園時間だけど、どうする?」
 ここの閉園時間は六時半だが、この季節(九月下旬)では、太陽はすっかり西の山
に沈んでしまっている。
 もっとも、照明はあるので、それほど暗いというわけではない。
「どうするって?」
「このまま真っ直ぐ家に帰って、唯ちゃんに頭下げるか、もうちょっと私に付き合っ
 て頭下げるのを少し先送りするか。‥‥どっちがいい?」
「なんで俺が頭下げなくちゃいけないんだ?」
 その言葉に愛衣の目が鋭くなる。
「謝らない気なの?」
 声も地の底から響くような低音だ。
「()い、いや、謝るけどさ、その‥‥頭まで下げなくちゃいけないのか?」
「私なら土下座しても許してやんないけどなぁ。大体さ、唯ちゃんに無条件で許して
 貰おうなんて考えてない?」
「うっ‥‥。」
 当然考えるべき事だった。‥‥が、どんな条件か想像も出来ない。
「まあ、覚悟はして置いた方がいいわよ。」
 すっかり他人事の愛衣。(他人だけど)
「どこへ行くんだよ。」
「ボーリング。」
「一人でか?」
 龍之介、ちょっと反撃。
「別に一人でボーリングやっちゃいけないって法律は無いでしょう? じゃ、またね。
 ちゃんと唯ちゃんに謝るのよ。」
 龍之介に背を向け、スタスタと歩き出す愛衣。慌てて龍之介が追い掛ける。
「帰るんじゃなかったの?」 
「いや、久しぶりにボーリングがやりたいなぁと思って‥‥。」
「無理しなくていいわよ。ボーリングなんて一人でも出来るし‥‥まあ、龍之介がど
 うしてもって言うんなら、連れて行ってあげてもいいけど?」
「やっぱり帰る。」
 立ち止まって、踵(きびす)を返す。
「あん、もう冗談よ。龍之介と一緒にボーリングがしたいな。」
 龍之介の手を取って引き戻す。この辺が愛衣と龍之介の違いだ。
「‥‥なんだか旨く遊ばれているような気がする。」
「気のせいよ。ご飯食べて行こ。」
「ファミレス?」 
「ううん、ファーストフード。」
「色気が無いなぁ。」
「ファミレスに色気があるっていうの? それに変に色気出して、またどこかに頭ぶ
 つけられちゃ困るしね。」
「ちぇっ」
 結局、この日の龍之介の帰宅時間は、もう四時間ほど遅れることになった。

            ☆            ☆

 午後十一時。
 八十八駅で愛衣と別れた龍之介は、自宅前に辿り着いた。
 すっかり遅くなってしまった。この様な時間に帰るのは初めてではなかったが、そ
ういったときには、必ず美佐子に一言連絡を入れていた。
 それにしても、まだ腕が痺れている。7ゲームも投げれば当然かもしれないが、原
因はそれだけではない。
『敗者は勝者の肩を二十回揉む』
 という条件を愛衣が付けだのだ。龍之介にしても、アベレージ140を誇って(?)
いたのでその賭に乗ってしまった。
 結果は7戦全敗。都合140回、いや、それ以上(力が弱いと数えてくれなかった)
肩を揉んだことになる。よっぽど他の所を揉んでやろうかと思ったのだが、後が怖い
のでやめた。
「くそー、どうしてベストスコアの170を出して負けるんだ?」
 ブツブツ言いながら、震える手で合い鍵を鍵穴に差し込む。
 答は簡単で、その時相手は三連続ターキーをやってのけ、本人もベストスコアと胸
を張っていたように、187を叩き出していた。
 カチリ
 ゆっくりとノブを回し、ドアを開ける。素早く中に入り込み、音がしないように静
かに閉めた。気付かれた気配はない。
 今度はリビングのドアを薄く開けて中の様子を窺う。電気は点いていたが、人の気
配は無かった。
(うまいぞ。)
 心の中でほくそ笑む。足音を極力殺し、階段を昇ろうと一歩を踏み出した。

「見つけた! 何をコソコソ隠れてるの!」

 ピタッ! と龍之介の動作が止まる。動作だけでは無く、心臓も止まるかと思った。
 スローモーションのようにゆっくりと振り返り‥‥龍之介がホッと息を吐く。
「美佐子さん、脅かさないでよ。」
 親子だけあって、最近唯の声が美佐子に似てきていた。その為、声を掛けてきたの
が唯かと思ったのだ。
 美佐子はクスクス笑い、
「何か後ろめたいことがあるから、驚くんじゃない? ‥‥ちょっといいかしら?」
「お、俺もう寝ようかと‥‥。」
「ほんの十分でいいから。」
 そう言うと、美佐子はリビングのソファに腰掛け、向かいのソファを指差す。拒否
は出来ないようだ。
 諦めて龍之介は向かいのソファに腰を下ろした。
「昨日から、唯の様子が‥‥いえ、唯だけじゃないわね、二人共様子が変なんだけど、
何があったの?」
 既に『何か』があったという前提での質問のようだ。
 俯く龍之介。
「ケンカしてるの?」
 首を左右に振る。
「じゃあ何? なにも無いなんて言わせないわよ。」
 美佐子にしては少々厳しい口調だ。
「‥‥ごめん。今は話せないんだ。」
「今は? じゃあ、いつ話してくれるの?」
「‥‥。」
「‥‥じゃあ、質問を変えるわ。いつか話してくれるのね?」
 龍之介はその質問に対しては、首を縦に振る。
「先の話になると思うけど‥‥きっと話せる時が来ると思うから。」
「そう。」
 その答えに、美佐子は表情を和らげた。
「龍之介君がそう言うなら待つわ。早く来るといいわね、その時が」
「あの、唯はもう寝た?」
「さあ、寝たと思うけど、なんで?」
「‥‥もし起きていたら、謝って置いてくれないかな? 『あんな事言ってゴメン』っ
 て。」
「龍之介君から直接言った方が良いと思うけど‥‥」
「もちろん謝るけどさ、今日はその‥‥」
「わかったわ。言っといてあげる。ただし‥‥。」
「わかってる。明日になったら、ちゃんと俺も言うから‥‥。」
  美佐子が満足そうに頷く。それを見て龍之介は二階へと続く階段を上がって行った。
 階段を上がりきった龍之介が、部屋のドアを閉めたことを(音で)確認するまで美
佐子は階段を見つめていた。
「ふう。何があったのかは聞き出せなかったけど、やっぱり原因は龍之介君か。でも
まあ、ちゃんと本人達だけで解決してくれそうだし、一安心ね。‥‥そう言えば、な
んだか謝る様に言われたんだっけ。」
 誰に言うともなく呟くと、美佐子はリビングの電気を消し、自室へと向かった。

 元は16帖もある大きな部屋だったが、現在は中央に本棚を仕切りの代わりにして、
二部屋にしていた。これは当初、龍之介の父である綾瀬博史が、三年で帰ってくる約
束で、一時的な同居生活だと思われたからだ。
 だが、三年という最初の約束から既に二年が経過していた。

「唯、起きてる?」
 部屋に入るなり、本棚越しに声を掛ける。返事は‥‥無い。それでも美佐子は続け
た。
「今ね、龍之介君が帰ってきたわ。なんだか謝っていたよ、ゴメンって‥‥。」
 相変わらず返事はない。
「龍之介君から先に謝るなんて珍しいね。唯も許してあげたら?」
 それは言えていた。二人がケンカなどした時は、たとえ龍之介に責任があっても、
最初に謝るのは唯だった。
「明日になったら、龍之介君も直接謝るって。」
 ようやく本棚の向こうから返事が返って来た。
「うん、わかった‥‥ありがとうお母さん。もう、いいよ。」
「龍之介君が謝ったら、一応唯も謝るのよ。‥‥お休み。」
「うん、お休み。」
 そう言った唯の顔はもちろん美佐子からは見えない。涙でグシャグシャになったそ
の顔は‥‥。
(もういいよ。やっぱりお兄ちゃんは唯の事なんとも思っていないんだ‥‥。だから
 謝るんだ。唯は、謝って欲しくなんか無かったのに‥‥。謝らないで堂々と振る舞っ
 て欲しかったのに‥‥。)

『ごめんな、唯は妹なのにキスなんかしてさ。唯もファーストキスが兄貴だなんて嫌
 だろ? だからお互い忘れた方がいいよ。』

 想像したくなかった言葉が、頭の中に響きわたる。恐らく明日にはこれと似たよう
な台詞を直接、龍之介本人から聞く事になる。
「嫌だよぉ。」
 隣に寝ている美佐子に聞こえないように、小さく小さく唯は呟いた。


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